PHOENIX TOKYOは、スペインサッカーコンサルティング会社です。
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PHOENIX TOKYOは、
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日本サッカー界のさらなる発展のため、
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開始いたしました。

ラ・リーガは、世界で絶大な人気を誇るプロスポーツリーグで、世界サッカー4大リーグの一つである! その中でも、今、熱く、最高峰のリーグと言えるだろう!
先駆者たちの挑戦が、スペインとの距離を縮め、
そして、スペインへの扉が開いた、今がチャンス!!
日本人選手がスペインでサッカーができるなんて現実味のなかった時代から、
日本人選手がスペインでサッカーをすることができる時代へと移り変わった、
この成長期の波に乗って、夢を現実にしよう!
スペインとの距離を縮めた日本人選手の先駆者たち
・城影二
FW 15試合2ゴール0アシスト
レアル・バリャドリード(1999-00 ローン)
Jリーグでゴールを量産し、2000年1月、念願だった欧州リーグに挑戦。横浜Fマリノスからラ・リーガ1部 レアル・バリャドリードへシーズン途中でレンタル移籍した。ラ・リーガにおける日本人選手第一号となり「ほぼ」レギュラーとして活躍。得点はオビエド戦で挙げた2得点にとどまったが、ラ・リーガで初ゴールを挙げた日本人となった。日本で横浜FM時代の年俸は2億円だったが、レアル・バリャドリード時代は3500万円まで下がった。シーズン終了後に完全移籍やレンタルの延長が検討されたが、日本代表の試合での負傷がきっかけで高校時代から膝の前十字靭帯を切ったままプレーを続けていたことが発覚し、契約を見送られた。
・西澤 明訓
FW 6試合0ゴール0アシスト
エスパニョール(2000-01)
2000年、トルシエ監督政権で代表召集を受ける。その後、代表の主力として定着、Jリーグベストイレブンに選出された年の12月、ラ・リーガ 1部 RCDエスパニョールにレンタル移籍。6試合に出場し、シーズン終了後退団した。
・大久保嘉人
FW 39試合5ゴール0アシスト
マジョルカ(2004-06 ローン)
オリンピックでの活躍がきっかけとなり、2004年11月にリーガ・エスパニョーラのRCDマヨルカへ期限付き移籍。選手登録が解禁された直後の2005年1月10日、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で初出場したが、デビュー戦で負傷し戦線離脱。復帰後も出場機会が限られたが、残留争いが佳境となった終盤戦に控えとなったガルシアに代わって先発出場、二試合で活躍し、奇跡的とも言える1部残留に貢献した。シーズン終了後、UEFA選出スペインリーグ・若手ベストイレブンを受賞。マヨルカからの評価は高く、2005-2006シーズンも移籍期間延長。しかし、同シーズンは途中出場が大半で、シーズン途中に監督に就任したグレゴリオ・マンサーノ体制下でさらなる出場機会減に危機感を抱き移籍を決意。2006年6月、Jリーグセレッソ大阪で復帰した。
・中村俊輔
MF 13試合0ゴール1アシスト
エスパニョール(2009-2010)
スコットランド セルティックで好成績を残した後、2009年6月22日、横浜F・マリノスなどのオファーを断りラ・リーガ1部 RCDエスパニョールの移籍が決定した。スペインでの最初のシーズンはうまくはいかず、マウリシオ・ポチェッティーノ監督はその理由として「適応」と挙げた。セルティック時代の恩師ゴードン・ストラカンが監督を務めるイングランド2部ミドルスブラFCよりレンタル移籍のオファーを受けるが、2部への移籍となることなどから本人が移籍の拒否を代理人にも貫いたことで、エスパニョールに残留することとなった。後の2021年にエスパニョールについて「アジリティ、戦術理解度、フィジカル能力が高い。ずる賢いし、ハードワークしなければならない。全部が備わっている」と回顧し「上手くなるし、自信もなくなるよ」中略「半年しかいられなかったけど、一番濃かった。得るものはあった」と話した。2010年2月28日、かつて所属した横浜F・マリノスに移籍が決まった。
・家長昭博
MF 18試合2ゴール1アシスト
マジョルカ(2010-12)
C大阪のACL出場権獲得に貢献し、自身初のJリーグ優秀選手賞を受賞した後、2010年12月16日、C大阪からラ・リーガ1部 RCDマジョルカへ完全移籍。2015年までの複数年契約を締結。マジョルカとの契約解除金が、当時のレートで1800万ユーロ(約20億円)に設定された。入団から1カ月ほどは、ヨーロッパ外国籍の選手保有制限により登録されなかった。冬季移籍期間中に放出したブラジル人DFラチーニョに代わり、2011年2月1日に登録名「AKI」で登録。2月5日、第22節CAオサスナ戦、トップ下でラ・リーガデビューし、3月13日、レバンテUD戦でトップ下として移籍後初先発を果たした。4月9日のセビージャFC戦では、リーガ初得点を決めた。2011-12シーズンはホアキン・カパロス監督の構想外となり前半戦で僅か4試合に留まった。2012年2月、出場機会を求めKリーグ・蔚山現代FCへ1年間の期限付き移籍した。
・指宿洋史
FW 2試合0ゴール0アシスト
ジローナ(2009)セビージャ(2012-2013)
当時、Jリーグのクラブから声がかからなかったが、柏レイソルユースチームで日本でサッカー指導していたスペイン人サッカーコーチのジョアン・サルバンスに高く評価され、2008年11月に行われたラ・リーガ2部 ジローナFCの入団テストを経て、2009年1月2日にジローナへの入団が発表された。Jリーグを経由せずに、スペインでプロ契約した日本人初の選手である。近年では、指宿のようなルートを目指す若い日本人選手が増加傾向にあり、新たなルートを生み出した第一人者と言えるだろう。FIFAの規定により18歳になる2月27日までは試合に出場できなかったが、同年4月19日のエルクレス戦にて後半36分から途中起用されプロデビューを果たした。2009年9月、3部相当のレアル・マドリード・カスティージャへのレンタル移籍がクラブ間で合意するも白紙になり、10月、4部相当のレアル・サラゴサBへレンタル移籍し活躍した。2010年8月、3部相当のCEサバデルでもレンタル移籍し活躍し、クラブのリーググループ優勝、および昇格プレーオフを勝ち抜き、2部への昇格に貢献した。2011年7月21日、セビージャFCが指宿の移籍を発表。契約期間は3年。2011-12シーズンは3部相当のBチーム セビージャ・アトレティコでプレーすることになり、同年11月、Bチームでの好調及び負傷者が出たこともありトップチームに帯同し、5日のマヨルカ戦で出場機会はなかったものの1部リーグでのベンチ入りを果たした。2012年1月21日のレアル・ベティス戦とのセビリアダービーで後半39分から途中出場し、トップチームでのデビューを果たした。クラブ公式サイトにおけるセビージャFC側のメンバー表にも掲載されるようになった。セビージャ・アトレティコでは前シーズンを上回る得点ランク2位となる20得点を挙げた。2012年8月22日、ベルギー2部KASオイペンへレンタル移籍、2013年7月11日、スペイン バレンシアCFのBチームで3部相当のバレンシアCF・メスタージャへの完全移籍が現地メディアで報道された。契約期間は2年。同年16日、指宿本人が自身のツイッターで公式に移籍を認めた。2014年7月にハンガリー1部リーグのデブレツェニVSCへの移籍が報道されたが、アルビレックス新潟への完全移籍がチームにより正式発表されてスペインを去った。
・ハーフナーマイク
FW 5試合0ゴール0アシスト
コルドバ(2014)
Jリーグからオランダ エールディヴィジ1部のフィテッセに移籍し、エールディヴィジに所属した日本人選手では過去最多となる11得点を挙げた。翌シーズンも二桁得点を記録し、2014年7月22日、スペイン ラ・リーガ1部のコルドバCFへ2年契約で完全移籍。2014年8月25日、リーグ戦開幕戦のレアル・マドリード戦に1トップで先発し、スペインデビューを飾った。リーガでは5試合に出場(うち4試合は先発)するも0ゴールに終わり、ミロスラヴ・ジュキッチが監督に就任した後は完全に構想外となり、12月30日にクラブから契約解消が発表された。
・乾貴士
MF FW 166試合16ゴール14アシスト
エイバル(2015-18)べティス(2018-19)デポルティーボ・アラベス(2019 ローン)エイバル(2019–21)
J2所属ながら日本代表に選出された。2010年は、優秀選手賞を受賞。2011年8月1日、ドイツ2部のVfLボーフムに完全移籍。レギュラーに定着したがチームは1部昇格を逃した。2012年6月25日、ドイツ1部に1年ぶりに昇格アイントラハト・フランクフルトへ両チームから完全移籍合意発。UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献。しかし2013-14シーズンは、徐々に出番が減り第28節以降は出場機会がなく、最終的にリーグ戦ではゴールを決められなかった。2014-15シーズンは出場機会は確保したが、リーグ戦の得点は1点に留まった。2015年8月27日、リーガ・エスパニョーラのSDエイバルへ完全移籍。念願だったスペインでのプレーが実現することになった。エイバルは大きなお金を動かしたことがなかったため、乾は移籍が厳しいとなったときに「給料いらない」「その分を移籍金に使ってください」と代理人に伝えた。クラブ史上初のアジア人選手となった。 2015年9月23日、リーガ・エスパニョーラ第5節レバンテUD戦において、トップ下スタメンでリーガデビュー。2016年1月10日、リーガ・エスパニョーラ第19節のRCDエスパニョール戦でリーグ戦初得点。1月22日、第19節のFCバルセロナ戦では11試合連続でスタメン出場を果たし、大久保嘉人の記録を塗り替えるリーガ・エスパニョーラにおける日本人最多出場記録を更新した。5月21日、最終節のFCバルセロナ戦では2得点を記録し、日本人として初めてバルセロナから得点を奪った。このバルセロナ戦での活躍は日本でも大きく報じられた。2017-18シーズンでは、第17節のジローナFC戦では、今季リーガ最速41秒での先制点とリーガエスパニョーラ通算70000ゴール目となる追加点を決めた。これらの活躍が評価され、12月の月間MVPの候補にFCバルセロナのルイス・スアレス、デポルティーボ・アラベスのイバイ・ゴメスと共に選ばれた。リーグ1部9位というクラブ史上最高成績に貢献した。2018年6月1日、レアル・ベティスと2021年までの3年契約を締結したことが発表された。8月17日、移籍後、ラ・リーガ開幕節レバンテUD戦にて途中出場した。 その後は徐々に出場機会を失い定位置を確保できず、最終的にリーグ戦8試合の出場にとどまった。2019年1月24日、出場機会を求めてデポルティーボ・アラベスとシーズン終了までの期限付き移籍が発表された。2月23日、第25節のセルタ・デ・ビーゴ戦で日本人史上初となるリーガ・エスパニョーラ通算100試合を達成し、古巣エイバル戦でもゴールを決めた。2019年7月24日、約1年ぶりにエイバルへ復帰することが発表された。リーグ戦29試合に出場し2得点を記録。チームの一部残留に貢献した。2020-21シーズンはリーガ最下位におわり、2部降格が決定。2021年6月28日に退団が発表された。過去に挑戦した日本人選手らが「アジア人は人として見下されてる」と評したスペイン1部リーグで、6シーズンに渡ってプレーし、成功を収めて、日本人選手のみならず、アジア人選手の価値を高めた。2021年8月31日、セレッソ大阪復帰が正式に発表された。
・清武 弘嗣
MF 4試合1ゴール2アシスト
セビージャ(2016-17)
Jリーグ セレッソ大阪からドイツ・ブンデスリーガの1.FCニュルンベルクに移籍し好アシスト記録を残したがチームは2部に降格。2014年7月25日、ハノーファーに完全移籍。2015-16シーズンからハノーファーの背番号10を身につけることが発表されたが、チームの2部に降格した事により、複数のクラブから関心が寄せられたが、移籍金が800万ユーロ(約10億円)と設定されていたため移籍が困難とされたが、ハノーファーが2億円の減額に応じたため、2016年6月10日にリーガ・エスパニョーラのセビージャFCへの完全移籍が発表された。2016年8月9日、デビュー戦となったUEFAスーパーカップのレアル・マドリード戦で先発出場した。8月20日、開幕戦のRCDエスパニョール戦で活躍しデビュー戦を飾った。11月2日、UEFAチャンピオンズリーグ第4節のザグレブ戦で後半CL初出場を果たした。しかしシーズン通して出場することは出来ず、更にEU圏外選手枠の3名から押し出され戦力外通告を受けた後、セレッソ大阪に復帰した。
・柴崎岳
MF 29試合1ゴール0アシストヘタフェ(2017-2019)
2017年、Jリーグからスペイン2部リーグのCDテネリフェへ移籍。慣れない環境への順応に苦しんだが、地元の日本食レストランなどで英気を養い、3月1日から全体練習に合流した。3月18日、第30節のレウス・デポルティウ戦で途中出場からスペインデビューを果たした。4月3日に行われた第32節のレアル・オビエド戦で移籍後初先発を果たした。誕生日である5月28日に行われた第40節のADアルコルコン戦で移籍後初得点となるバースデーゴールを挙げた。6月18日、昇格プレーオフ準決勝のカディスCF戦では2ndレグで決勝ゴールを決め、同決勝のヘタフェCF戦では1stレグ・2ndレグともにアシストを記録するが、チームは敗れ1部昇格を逃す。2017年7月17日、テネリフェにプレーオフで勝利し1部昇格を果たしたヘタフェCFへの完全移籍が発表された。背番号は「10」。8月20日、開幕戦のアスレティック・ビルバオ戦でスタメンからスペイン1部デビューを果たし、9月16日第4節のFCバルセロナ戦で初ゴールを決めた。このゴールは、リーグ戦とCLで無失点を続けていたバルセロナのGKマルクの無失点記録を破るゴールでもあった。柴崎は鹿島時代にクラブW杯でレアル・マドリードからも得点を決めており、ビッグクラブであるレアルとバルセロナの両クラブから得点を奪った初の日本人となった。しかし、この試合で負傷し途中交代。試合後に左足中足骨の骨折と発表され、手術し最大2ヶ月と離脱となってしまった。その影響からか復帰後は出場機会がほとんどなく、翌シーズンは完全に監督ホセ・バルダラスの構想外となり、開幕戦のレアル・マドリード戦で先発フル出場した以外は前半戦はわずか3試合、後半戦ではベンチ入りすらもかなわなくなった。結局リーグ戦は7試合の出場にとどまった。2019年7月14日、2部のデポルティーボ・ラ・コルーニャと4年契約を締結した。8月18日、開幕戦のレアル・オビエド戦でスタメンデビューを果たした。しかし、チームは一時最下位に低迷し、柴崎自身も波に乗れず、7月20日に3部リーグ降格が決定した。2020年9月4日、CDレガネスと3年契約を締結したことが発表された。2023年9月1日、鹿島アントラーズに復帰した。
・久保建英
MF 164試合23ゴール18アシスト
マジョルカ(2019-20、2021-22 ローン)ビジャレアル(2020 ローン)ヘタフェ(2021 ローン)レアルソシエダ(2022-)
2019年6月14日、スペインのレアル・マドリードへの移籍が発表された。移籍発表時点では、FC東京はJ1リーグ首位であり、久保もレギュラーとしてチームに貢献していた中での移籍だった。しかし、移籍発表翌日にFC東京の代表取締役社長である大金直樹のコメントで「18歳を迎える時にはもう一度(海外でプレーする)可能性を確かめるべく、クラブとの契約期間はその日までとなっておりました」と久保が18歳の誕生日を迎えた同年6月4日に契約が終了していた事を明かした。契約終了後にFC東京も契約延長のオファーを出し、久保も「FC東京の今シーズンのチーム状況、自身の成長の実感から、そのまま残留して優勝に貢献したい」という気持ちもあったものの、最終的にはレアル・マドリードへの移籍を決意した。上記の経緯からレアル・マドリードには移籍金が発生しない自由移籍で加入したものと見られていたが、2021年9月21日になってスペインの「エル・コンフィデンシアル」がレアル・マドリードからFC東京に対して200万ユーロの移籍金が支払われたと報じている。レアル・マドリード加入が発表された当初は、1年目はBチーム相当であるレアル・マドリード・カスティージャでプレーし、2年目にトップチームへの昇格あるいは別のトップレベルのクラブへの放出を約束したと報道されていた。7月9日、プレシーズンツアーの帯同メンバーに選出され、試合にも出場してトップチームで実践デビューを果たした。スペイン紙『マルカ』は評価ランキングで1位に選出している。2019年8月22日、1部に7シーズンぶりに昇格したマヨルカへの期限付き移籍が決定した。日本人がマヨルカでプレーするのは大久保嘉人、家長昭博に次いで史上3人目となった。当初予定されたカスティージャよりレベルの高い1部の他クラブで経験を積むことになった。9月2日、リーグ戦第3節のバレンシア戦で途中出場し、リーグ戦デビューを果たした。11月10日、第13節のビジャレアル戦で初得点を決めた。このゴールが欧州4大リーグのアジア出身選手最年少得点(18歳5ヶ月6日)となった。シーズン序盤はベンチスタートが多かったものの、2020年に入ってからは主力の1人となっていった。最終的に、チームは2部への降格が決定したが、リーグ戦35試合4ゴール4アシストと下位で苦しむチームの中で結果を残し、このシーズン、欧州サッカー連盟によるラ・リーガの『ブレイクした11人』に選出された。2020年8月10日、ビジャレアルへの期限付き移籍が発表された。開幕からリーグ戦6試合ベンチスタートとなり、10月22日、ヨーロッパリーグ、グループステージのスィヴァススポル戦で移籍後初の先発出場を果たし、移籍後初ゴールを決めただけでなく、2つのアシストも決めて勝利に貢献した。その後はヨーロッパリーグではグループステージ全試合に先発出場するも、リーグ戦では先発出場は2試合のみだった。冬の移籍市場開幕前には4試合連続で出場がなく、2021年1月2日のレバンテ戦ではシーズン初のベンチ外となった。最終的に出場した公式戦19試合で90分間フル出場したのはヨーロッパリーグでの2試合のみとなり、リーグ戦で先発出場したのは2試合のみとなった。2021年1月8日、ビジャレアルとの契約を破棄し、17位で残留を争っていたヘタフェへシーズン終了まで期限付き移籍すると発表された。1月11日、第18節エルチェ戦に64分から途中出場を果たし、新天地デビューを飾った。 ヘタフェでの練習に一度も参加していないかったが、2得点に絡む活躍で敵地での逆転勝利に貢献した。その後は4試合連続でスタメン起用されるも結果を残せず、その後の6試合では途中出場となり、内アトレティコ戦では出場機会が訪れなかった。5月16日、第37節のレバンテ戦では決勝点をきめてチームの残留に貢献した。ヘタフェでは、スタメン8試合に対し、途中出場10試合、出番なしが4試合であった。2021年8月11日、1シーズンで1部に再昇格したRCDマジョルカに1シーズンローンで再加入が決定した。2022年7月19日、レアル・ソシエダへの完全移籍が発表された。契約は2027年6月までの5年間だが、レアル・マドリードは買い戻すことが可能な50%の保有権を保持しており、今後の活躍次第ではレアル・マドリード復帰の可能性も残された形となった。この移籍がキャリアを好転させた。9月18日、第6節のRCDエスパニョール戦では、乾貴士以来日本人二人目となるラ・リーガ通算100試合を達成した。また、その後、乾貴士以来日本人二人目となるラ・リーガ通算二桁得点も達成した。5月3日、レアル・マドリード戦で後半開始早々、古巣相手にゴールを決めた。その後も活躍を続け、最終的にリーグ戦9G4Aとキャリアハイを大きく更新し、チームの10シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場に貢献。チームの年間最優秀選手や海外紙選定のリーグ年間ベストイレブンに選ばれるなど飛躍のシーズンとなった。2023年9月3日、ラ・リーガ第4節のグラナダCF戦ではスペインでのキャリア初となる1試合2得点を決め勝利に貢献。また、リーグ戦において乾貴士がもっていた日本人最多ゴール記録を更新した。9月20日、UEFAチャンピオンズリーグのグループD第一節、ホームでのインテル戦でチャンピオンズリーグ初出場を果たした。9月のリーグ戦では5試合で4得点を決める活躍を見せ、ジュード・ベリンガムなどを抑えて日本人初の月間最優秀選手に選ばれた。2024年2月12日、契約を2029年まで延長したと発表した。
Bチームや下部組織でプレーをした日本人選手
・安部裕葵
J1鹿島アントラーズ背番号10番は、バルセロナBと正式に4年間契約を結び完全移籍した。主力として活躍していたものの、負傷を繰り返し出場回数が少なくなったが、トップチームのプレシーズンで初戦で途中出場してトップチーム出場を果たした。しかし、その後また負傷し、契約満了により退団した。
・久保建英
10歳の時にバルセロナの下部組織に実力が認められ、日本人として初めてバルセロナの下部組織に入団した。しかし、FIFAの規定に基づく18歳未満の外国人選手登録に違反していたことにより、公式戦に出場できなくなり、13歳の時に日本に帰国してFC東京の下部組織に入団した。
・中井卓大
年齢からは考えられない卓越した足元の技術力が話題になった。レアル・マドリード主催のファンデーションキャンプをきっかけに、日本人としてはじめてレアル・マドリードの下部組織に入団した。2021年には、本来のフベニールBから飛び級となるフベニールAでプレーした。2022-23シーズンからはリザーブチームであるカスティージャに昇格したものの、出場機会がほとんどなく、2023年8月16日、スペイン3部のCFラージョ・マハダオンダへレンタル移籍。2024年5月31日に、移籍元のレアル・マドリードへ復帰することが発表されたが、2024年7月18日、スペイン3部のSDアモレビエタへ一年間の期限付き移籍することが発表された。



▼人々を魅了するスペインサッカー
スペインでは、レアル・マドリード派、FCバルセロナ派と、国民の多くが分かれているが、時は遡り2008年、FCバルセロナを率いるグアルディオラ監督の登場によって、世界中のサッカー界が衝撃を受けた。
FCバルセロナは、連動したポジショニングで、ショートパスを駆使しながら敵陣に侵入し、ゴールを奪うポジショナルプレーを展開した。
それに対してスペインのプロクラブは、当然、黙っていなかった。多くのプロクラブが対策を続けた結果、気が付けばポジショナルプレーの基盤がスペイン中に浸透し、育成にも組み込まれ、『スペインサッカー = 美しいサッカー』と言われるようになったのだ。
現在では、世界中の多くのクラブがポジショナルプレーを取り入れて、スペイン(グアルディオラ監督)発祥のポジショナルプレーの基盤が世界基準になったと言っても過言ではない。
しかし、スペインのサッカーは知れば知るほど、美しいの一言だけで言い表せず、それだけでは終わらない。
ズル賢さもあればえぐさもあり、常にアップデートを続け、世界最高峰のメソッドを構築してきた。
そして今もなお、進化し続けている。


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1シーズン(約10カ月)留学 1,000,000円~
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必要事項の現地アテンド・通訳、ビザ取得サポート(長期の場合、実費分除く)クラブからの連絡事項を伝える
クラブとの意思疎通を図る、プログラム・個人トレーニング・スケジュールのコーディネート、生活サポート
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山田 ラファエル ユウゴ
スペシャルアンバサダーの山田 ラファエル ユウゴです。
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スペシャルアドバイザー

フットサル日本代表
スペイン・セグンダディビジョン
コロコロサラゴサ所属
内田 隼太
スペシャルアドバイザーとしてご協力させていただきます内田隼太です。スペインでのサポートはお任せください。スペインでお待ちしております。
J1サッカー鹿島アントラーズの下部組織でジュニアユースからユースまで在籍し、フットサルに転向。
府中アスレティックに入団。
2017 U-20フットサル日本代表
2018/2019シーズン Fリーグ新人賞
2018〜 フットサル日本代表
スペインに主戦場を移し、CDブレーラFS(1部)、コロコロサラゴサ(2部)、ペニスコラFS(1部)で脅威の決定力を見せつけた。
【PHOENIX TOKYOは内田 隼太選手を応援しています!】